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国境なき子どもたち 写真展 2008
国境なき子どもたち 写真展 2008 「イラク避難民家族の物語 ~ヨルダンで願う平和~」 谷本 美加 さんの写真展に行ってきました。
国境なき子どもたち の写真展は、かれこれ3年前から機会があれば見に行っています。
ビジュアルで知ることは、かの地に立ったことがない私にとって、リアルに迫ってくるものがあります。
イラク戦争が始まってもう5年が経っています。
未だに新聞にはテロを伝える記事があります。
独裁者によって翻弄された国の人々は、どんな暮らしをしているのだろうか?
どんな運命の中にいるのだろうか?
イラクでは、民間の犠牲者は2004年には10万人、2006年は65万人、2007年8月には100万人になったと言われています。
国内避難民と言われる人は200万人に達しています。
お隣の国ヨルダンの首都アンマンまでは、イラクの国境から約400キロ。
車で半に近からない距離です。
同じく隣接するシリアやトルコも入国制限しています。
ヨルダンには75万人の避難民がくらしています。
そのうち、20万人が学齢期の子ども。
ヨルダンの学校に行くには、登録料が約5000円、学費が約4300円かかります。
これは決して安くはありません。
やっと学校に通うことができても、馴染めなかったり、イラク訛りのアラブ語を話すといじめにあったりするのだとか。
イラクは、イスラム教徒が95%を占め、キリスト教とマンダ教徒が約100万人います。
実は、フセイン政権下では、彼らの信仰は守られていたのですが、イラク戦争後、迫害をされるようになったのだと。
40年間、アラブ社会主義国だったイラクでは、医療費・教育費は無料で、食料は配給されていました。
恥ずかしいことに、こういう事情には疎かった私は、意外に思ったのでした。
写真の子どもや家族たちは笑っていました。
紛争地の写真と比べると、悲惨さを前面に感じるものはありませんでした。
だけど、どこかに不安ややるせなさを抱えた寂しそうな笑顔を見せているのです。
イラクを流れるチグリス。ユーフラテス川。
豊かな緑を中心にかつて文明の発祥だった地は、今や泥沼と化しています。
文明と言う人間の英知が発展した場所で、クラスター爆弾などのあまりにも非人道的な武器を使った戦争が行われた。
何と言う皮肉、というか、人の愚かさ、過ちの象徴となってしまった。
イラク人がよく言うのは「アメリカは親切だが安全はもたらさなかった。サダムの時代は監視されていて、自由はなかったが、安心だった。」
それでも、運が良ければ生き延びる。
そして、いつか自分の住む土地に帰ることができる。
そう信じて、今、住む場所があること、生きていることに感謝しよう、
そんな風に写真の向こうの人たちは語りかけていた。
ミャンマーのサイクロン
5月3日にミャンマーを襲ったサイクロン。
被害は広がるばかりで、3万人以上の死者が出ていると報道している。
10万人以上になるとも言われている被害。
昨年のバングラデシュを襲ったサイクロン・シドルの時より、被害が大きい。
ミャンマーは軍事政権なのはご存知だと思いますが、その壁に阻まれて
国連関係の人たちの入国は規制されている。
人よりも物資を、と要望を出している軍事政権。
こんな状況でも、そんな対応するなんて、頭にくる。
マザーハウスのえりこさんがデザインしたサークルシリーズは、
奇しくも、サイクロンの被災地へ援助に行ったときに感じたことを
デザインに起こしたものだ。
南の国で起こっていることは、南の国のことだけじゃない。
原因はどこにあるのか?
私たちにだって、その一端はある。
私は、サークルシリーズのMH049 Solidarity を買った。
とてもかわいいバッグだ。
でも、そのバッグに込められているメッセージは、連帯。
社会はひとつだ。
だから、今、どこかでおこっている災害は、“どこか”ではない。
私たちの世界だ。
アフリカで起こっている紛争は、アフリカと言う遠い地ではない。
私たちと同じ人たちが暮らしているところだ。
何とかしたい、少しだけど、微力だけど、それでも何かできることをしたい。
そんな人が集まって連帯したら、大きなことができる。
ミャンマーで被災した方々の少しでも早い復興と、ご冥福をお祈りいたします。
「323人」@アフリカ って何だ?
昨日、マザーハウス代官山店から入谷店に向かう途中、下車をしてJICA地球広場に行ってきました。
現在、「元気!アフリカ!!」という展示をしているので、見てきました。
展示は、アフリカってどんなところ?ということを、小学生にもわかるようになっていたので、楽しかったです。
タイトルは、数字を当てるクイズでした。
何だと思いますか?って、いきなり聞かれてもわからないですよね。^^;
私もサッパリでした。
「323人」とは、ユーロでプレーしているアフリカ出身のサッカー選手の人数です。
アジアより、全然多いです!!
あと、女性国会議員の比率は「18.8%」。
日本はどれくらいだと思いますか?
「11.8%」なので、日本の方が比率が低いのです。
あと、日本では、2000万トンの食糧が年に捨てられているそうです。
これだけあれば、7000万人が一年間、食べられるのですって!
何と言う、皮肉な現象なんでしょう。
こういう現実って、日本人みんなが知って、自覚して行かなくちゃいけない。
あと、マラリヤを防ぐ“かや”も展示してありました。
ナイロンので、殺虫剤を染み込ませているのを日本の企業が開発したそうで。
でも、いろいろな事情で、かやがアフリカ人の手に渡っても、使用されるとは限らない現実もあります。
あと、教育の問題ですね。
識字率が低いと、どんなに不便なのか体験することもできます。
全体的には、アフリカって言う大きな土地の全体を紹介する展示だったので、もう少し詳しく知りたいな、という感じがありました。
帰りに、カフェフロンティアでランチをしました。
世界の料理(エスニック中心)が味わえるお店なのですが、チェンマイのお料理を注文しました。
さばとお野菜をオイルで焼いたもの。お米はインディカ米でおこげがちょっと。
美味しかったです!これでチェンマイには行けます!笑
それはともかく、こういう展示って、展示の仕方をもっとかっこ良くして、銀座のど真ん中辺りでするべきなんだと思うのだけど。
マザーハウスのスタッフにもいつか、銀座のど真ん中でってイベントしてね、とお願いしちゃいました。「ブランドってこういうものだ」って、スタッフ談。
・・・というか、そういうことが当たり前の国になってほしい。
荒川国際平和展
荒川国際平和展に行ってきた。
昨日、メールで知り、急遽予定変更。・・・と言っても、動かせない予定は
入ってなかったのだけど。^^;
ギャラリーに、イラク・パレスチナ・チェチェンの子どもたちが描いた絵が
展示してある。
それぞれ、人種も国も違うけど、紛争と言う不条理な状況の下で育ち、
何らかの犠牲を強いられてきた子たちの絵。
もう、癌でこの世にを去った子や、色鉛筆を持ってない子もいた。
戦車や銃や血の絵。親と離れてしまう絵。難民キャンプに咲いた向日葵の花。
いろいろな絵があったけど、どれも線が細くて儚げだった。
平和展にはいくつかのNGOや団体が展示していて、東京大空襲の記録もあった。
私は初めて見たけれど、東京の地図で空襲で焼かれてしまったところを
記した地図があった。23区は山の手線内を中心として、ほとんどだった。
自分の育った所も空襲にあったことを記していた。
本日、受付をされていた方々は、ちょうど、戦争を学生の時に体験した
年齢くらいの方々だった。沖縄や広島・長崎だけではなく、東京でも、こういう
団体があることを知って、そうだよね、と思う気持ちと複雑な何かが混ざり合った。
お礼を言い、展示場を後にしようとした時、「お茶どうぞ」と入れてくださった。
暖かくて、ほんのり日本の香りがして、とても美味しかった。
ある区のひっそりとしたスペースで、いくつかの団体がいっしょになって展示をし、
上映をする。決して派手ではなく、世間に注目されるようなことでもないかもしれない。
でも、貴重な貴重な彼らの活動に何故かはわからないけど、感謝した。
平和への道は、地道な小さなことをコツコツと粘り強く重ねていくことだ。
決して諦めることなく。
「チョコを選べば世界が変わる」
タイトルは“チョコレボ”のスローガンである。
巷ではお決まりのバレンタイン商戦が繰り広げられている。
最近は、世界的なショコラティエの実演販売や、特設会場も大きくなっている。
私はと言えば、デパ地下混んでてもう・・・という感じで
セクハラおやじに○○くんには義理チョコあげないと、
などと言われて、そんなのめんどくさい、とそっけなく答えるのである。^^;
だって、チョコなんてどんなに子どもたちが犠牲になっているか
そんなことを考えもせず、知ろうともせずにキャアキャア騒いでいるのが
アホらしく思えるのである。(過激な表現でスミマセン)
でも、ここ数年のいい傾向として、児童労働に関わっていない
正当な労働によるカカオを原料としたチョコレートを取り扱う
お店やデパートが増えてきていることである。
元々、チョコは好んで食べる方ではないので、買うこともほとんどない。
でも、正当な労働によるチョコだったら、ぜひ食べてみたいし、
買ってみたい。^^
で、チョコレボのサイトを見つけた。
こういうサイトがあったこと自体が嬉しかったし、消費者として、
誰が作ったかって、餃子だけじゃない問題だという意識を持ちたいな、と思った。
ここでは、地球と人に優しいチョコを買おう!というキャンペーンをしている。
特に、ひいきの企業はない。
このHPで知ったZotterというオーストリアの企業は前から知っていたので、
高島屋までいそいそと行って買ってきた。
お値段的には、やっぱり高い。
でも、消費者が安いチョコを求めるから不法な労働が行われるのだから
高くて当然だと思った。
スタンダードな名前のチョコがなくて、選ぶのに苦労した。
そこら辺は、日本でも市場が広がれば日本人好みの味を作ってくれるかも、
と思った。
で、これを買って、どうするのかって?
もちろん、自分で味見するの。うふ。
でも、親しい人にはおすそ分けしようと思う。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080209AS1K0900409022008.html
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南アフリカのサッカーばあちゃん
水曜日だったかな?読売新聞の「世界の高齢者」で、
南アフリカの50~80代の女性サッカーチーム「マフィラナ・ゴーゴーズ」の
紹介記事があった。
マフィラナはヨハネスブルグから北へ約400キロの村の名前。
ゴーゴーは地元の言葉で“おばあちゃん”の意味だと言う。
おばあちゃんがゴーゴーとは、何ともイケテルチーム名だ。
87歳のおばあちゃんがサッカーをしている。
恐るべし、アフリカ人の体力、と思いきや、
サッカーを始めて杖が要らなくなったという。
・・・ということは、鍛えれば90近くになっても強くなるんだ!すご~~~い!
サッカー場のある草原は、放し飼いの牛がうろついていると。
何とも牧歌的な風景だ。
2年後には、南アフリカでワールドカップが開催される。
アフリカは、暗い話題が多い。
ケニアは情勢が悪化。ジンバブエでは超インフレ。(パン1斤1万円)
・・・と、悲しいニュースが伝えられるが、(それはもちろん、心配だけど)
明るい話題だってある。
人間は泣いてばかりはいられないから。
私も50過ぎたらサッカーしよっと!
ウガンダ子ども兵士
Tunapenda Africa 主催の学習会で、 ジャーナリスト下村靖樹さんの講演~
「ウガンダ子ども兵士」~
に行ってきた。
こういう講演会に行ったのは、学生の時以来かもしれない。
下村さんは、アフリカを専門とするジャーナリストで、
ここ何年かのアフリカの紛争地域に出かけている。
そのひとつがウガンダで、子ども兵士が運よく政府側に助けられ
施設でケアされる様子を、写真とともに、話してくださった。
子ども兵士の様子は、「カラシニコフ」やHPで読んでいたが、
やはり、生の声は違う。
ゲリラに誘拐され、兵士として訓練される。
そして、いつも最前線へ送られ、食料も回ってくるのは最後。
怪我や病気をしたら、ほっておかれる。
逆らえば、口や耳を切り落とされたりする。
女の子はもっと悲惨だ。
レイプをされ、大人の兵士の妻に強制的にされる。
それでも、助かる子は幸いだ。
止め処もない目をした子たちは、ケアによって、だんだんと笑うこともできるようになる。
彼らがどんなに酷い目に遭い、心を閉ざし、回復もままならないままに
社会に放り出される。
まだ、成熟した社会が迎えるわけでもないので、そこでも苦労する。
下村さんは、継続的な取材を続け、彼らの成長を見守っている。
複雑な民族と政治、そして宗教の問題を孕みながら、紛争は起こる。
現在、ウガンダのゲリラ問題は終息の方向にあり、
これ以上、悪くなることはないという。
それでも、傷を負った子どもたちの歩む道は険しい。
人は愚かだ。同じ愚を何度も繰り返す。
また、人の秘めている力と回復力は希望を与えてくれる。
後者が前者をうわまることを祈るばかりだ。
“救援活動”と“復興支援”
エクマットラからバングラの支援活動報告が先週来た。
昨年の自然災害で一番被害が大きかったのは
バングラのシドルで、国連国際防災戦略によると、死者は4234人になると言う。
エクマットラはダッカ大学と協力して、支援活動を行っている。
今回の報告は、Phase.2 と Phase3
そして、Phase.4の計画だ。
報告を読むと、一般的に考えられる救援ではなく、
被災者がこれから自分たちで生活していくために必要なもの、
また、イスラム教の儀式に必要なものなど、生活に密着した支援だと思った。
代表の渡辺さんによると、「大きな支援が継続して入ってくることで、
被災地の方々の中に依存体質ができてしまうこと」が問題だと言う。
緊急に必要な時はそのように、その後は、被災者たちが自分たちの力で
立ち直っていけるような環境づくり、仕事に繋がるものを、とおっしゃっている。
現地で、現地の人々と同じ目線で見ることができ、感じることができること、
そういう方々の報告は、私にはとっても勉強になる。
今回は、救援活動から、復興支援へ。
それが、自立への道だ。
バングラデシュと地球温暖化
ニュースステーションで、バングラデシュの洪水とサイクロンの特集が放映された。
サイクロン・シドルの記憶は新しく、未だに復興支援は終わっていない。
洪水やサイクロンが多い環境的には厳しい状況にあるバングラ。
そこに、地球温暖化の影響で、ますます酷くなる災害。
土地は崩れ、家屋は崩壊する。
人々は、命を落とし、仕事を失う。
経済発展を続け、ネクストイレブンのひとつのバングラだが、
自然災害の影響はあまりにも大きい、と言わざるを得ない。
日本は、発展国に数えられるので、加害者だ。
逆に、被害者は、何もしていない。
そんな矛盾した現象が、世界のあちこちで起こっている。
日本にいると、今の生活が当たり前だけど、
少しでも、目を外に向けて生活したい。
代官山 La casita ラ・カシータ
今日は代官山に行った。
何かに押し出されるように、ふっと行かなくっちゃアンテナが立った。
でも、代官山ってどうやっていくの?^^;
東京から離れたことのない私だが、西の方はさっぱり知らない。
あるといいなぁ・・・と思いつつ、探し物をするように街を歩いた。
ブラブラと1時間ほど歩くと、La Casita(ラ・カシータ)というメキシコ料理の看板が見えた。
あれえ?来たことある。代官山って初めてじゃなかったんだ。
もう、何年前になるだろう?
オランダにいる友人が帰国したときに、La Casita でお食事した。
その友人は、ユーロと言う土地の利を生かして、休暇にはいろいろな国に行く。
その様子を私に教えてくれて、メキシコ料理で美味しかったと言う
ウサギの肉のチョコレートソースがけ、という料理がある La Casita に連れて行ってくれた。
他に何を食べたかはもう忘れてしまったが、ウサギの肉のチョコレートソースがけは
想像していたより美味しかったことを覚えている。
懐かしくなって、お店に入ったが、もうそのメニューはなかった。
思えば、私の海外への憧れは、本で読む世界だったけど、小学生の頃からあった。
そして、高校のときはアフガンに使命を持つひとを応援し、
大学のときは、パレスチナやカンボジアを目指す友人がいた。
普通の企業の海外支店や、海外で起業しちゃう人たちもいた。
で、いつも羨ましい思いと共に、応援をしていた。
いや、今も応援している。
自分の叶わない夢を託していたのかなぁ・・・
思いもよらず見つけたLa Casitaを見て、そんな思いにふけった。
でも、今でも思っている。
夢はまだ、諦めていないよ。
パンジーの塔
仕事納めの日。納めるって言っても、スケジュールを少しだけ前倒しして、
大掃除の道具が配布されたけど、お掃除するとこないねー、と言って何もせず、
15時以降は自由の身になったので、いつもの定時より少し早めに帰社した。
前々から友人と丸の内に行こう、と約束をしていて、ようやく実現した。
友人は、最近の丸の内にはまだ行ったことがなく、ちょっとしたガイド気分だった♪
イルミネーション、楽しみだねー、ミレニアムほどじゃないけど、きれいだと思うよー、
なんて言いながら、丸の内仲通りに着いた。
あれえ?まだ、電気ついてない。おかしいな?と思っていたところに、きらら、と電気がついた。
シャンパンゴールドとかいう、丸の内だけの光の色だと言う。
今年は、省エネ・エコで、控え目なライトアップが世界的だ。
丸ビルのところには、パンジーがいっぱいで、パンジーの塔が道路両脇に並んでいる。
そこに七色の光が当たってキレイだった。
歩道の片側には、写真を撮る人でいっぱいだった。
友人も、いっぱい写真を撮っていた。
じゃあ、私も撮ろうっと。でも、携帯だと上手く撮れない。
デジカメを買い換えたくなって久しい。
近々、デジカメを買おう。そんなことを、写真を撮りながら思った。
パンジーは、背丈が低くって、寒いのに、お花をいっぱいつけて、
かなり持つので、我が家でも重宝?している。
だけど、あまり主役になることはないお花のひとつだ。
そんなお花を主役にしたデコレーション。かわいかった。
そのあと、丸ビルで友人がコートを買い、お店の人にお勧めのカフェを
教えていただいて、お茶をした。
クレームブリュレ、美味しかったー。
バングラデシュのサイクロン その後
ニュースなどで映像を見ると、想像していたよりも酷い状況だということが分かる。
とくに、道が水没して、救援物資が思うように運べない。
改めて、インフラ整備の重要さを感じる。
ヘリで救援物資を投下するのだが、人々が取り合いになって
そこには秩序のようなものが見られず、悲惨さを増すばかりに思った。
死体も埋葬することができず、伝染病の恐れがある。
日本では、赤十字が現地での救援活動を始めたとのことだが、
各国はアメリカ始め、サウジやフィリピン、UKや欧州各国が支援の声明を出している。
で、日本は?
「テント、毛布、浄水器等総額3千5百万円相当の緊急援助物資の供与」(外務省のHPより)
を決めている。
でも、ニュース見ても、NHK以外は取り扱いが小さい気がするし、
日本の支援の話など、出てきてないようだ。
(全てのニュースを見たわけではないので、断言できません・・・)
独自の募金を募ってもいいのになぁ・・・と思った。
私は追い討ちをかけるように、外務省のHPに書き込みしてしまったが。
昨日はイライラしていたが、ようやくユニセフやシャプラニールのHPで
緊急支援のお知らせを読むことができた。
バングラデシュは最貧国のひとつで、人口も多い。
けっこう、たくましいんだよ、と聞いている。
ならば、彼らのパワーを信じたい。
これを乗り越えるパワーを。
そして、私はできることをしたい。
バングラデシュを襲ったサイクロン
日本でも海外ニュースで伝えられているが、昨日、バングラデシュをサイクロンが襲った。
死者は、1000人とも2000人とも言われているが、定かではない。
途上国での災害は、日本が災害に襲われるよりも悲惨だと聞く。
特にインフラが整っていないために起こる様々な2次災害が、より被害を拡大させていると言う。
そんなときでも、日本に住んでいる私は、食事をしたり、お茶を飲んだり、テレビを見たりしている。
ネットだって、快適な環境で続けられ、停電が起こることなんて、本当に稀だ。
最近は、こういうどうしようもない“差”に打ちのめされそうになる。
生まれたところが違うだけで、人生が違ってきてしまう。
何故なんだろう????
考えても答えなんか見つかるはずないのに、何かを掴みたい。
私なんかが努力したってダメなんじゃないか、そんな実力も精神力もない。
それでも、何か見つけて、何かしたい。
そうじゃないと、私は自分が生きている意味を見つけられない。
バングラデシュ展~不思議な体験
少し前の話になるが、バングラデシュ展に行った。
平日だけの開催だったので、早退した。
森ビルのジェトロが会場だ。
会場はそんなに広くなくて、カテゴリーごとに商品が展示されていた。
私は、ジュート製品とショールがないかなぁ・・・と、のぞいて歩いた。
所狭し、と靴や綿製品、食器やバッグなどが並べてある。
ちょっと気を惹いた刺繍品があったので、近寄ってみた。
そこは、女性の方々のお店だった。
民族衣装を着ていて、ジュートや刺繍の説明を英語でしてくれる。
通訳の方もいて、ちょっと心強かった。
値段を見ると、メチャ安い。え?と思うほどだ。
ジュートのバッグは、マザーハウスのと比べると、比べ物にならないくらい
ダサくて、せいぜい、エコバッグに使えるくらい。
どちらかと言うと、刺繍を施したクッションカバーの方が製品としては
魅力的だった。
参考までに、ジュートのバッグとクッションカバーを買おうと思った。
ところが、本日は展示だけで、小売はしていないと通訳の人が言う。
じゃあ、いいですよ、と言ったら、
お店の人たちは売りたかったようだ。
今日は売れないので、着払いで明日、送ることになる、と通訳の人が言う。
まあ、それでもいいっか、と思い、お金を払おうとした。
1000円札を渡すと、おつりがない、と言われた。
じゃあ、どこかでくずしてくるから、というと、
渡したお札を自分のお財布に入れようとする。
ちょ、ちょっと待ってよ。それ、私のお金。
1000円札を取り返して、自販機の方に歩いていく。
すると、後から着いてくるではないか!!!
ちょっと、いや、かなりドキドキした。
じいっと私のお財布を見ている。
幸か不幸か、中には1000円札が2枚しか入ってなかった。
でも、彼女にしてみれば、大金だ。
バングラは1日1ドル以下で暮らしていると言うから、
彼女は裕福な方だと思うが、それでも、日本円で考えると
5万~10万円くらいだろう。
自販機でくずしたお金を渡すと、すぐに帰るの?と聞かれた。
はい、帰ります、というと、
ちょっと待ってて。という。
他の店員さんが、エレベーターまで見送るという。
何だか、あまり良い思いはしなかったので、彼女たちとあまり関わりたくないなぁ・・・
と正直思った。
で、最後に、明日、宅急便で送ることになっていた商品を私に渡すのだ。
え?いいの?
いい、いい。
うーーーーん・・・・よくわからないけど、ご好意だと思って甘えよう。
私の持っていた紙袋の中身を取り出し、見えないように商品を入れた。
エレベーターに乗ったけど、まだ、ハラハラ・ドキドキしている。
聞きしに勝る、というか、実際に会って接したベンガル人は、ちょっと怖かった。
上海でも、お店でずっと付きまとう店員が沢山いたが、
そのときと同じような感じを受けた。
申し訳ないけど、会場には、魅力的なものはほとんどなかった。
やはり、マザーハウスはすごいことをしているんだ。
えりこさんは、本当にすごい!そう思った。
ちょっと怖い思いをしたけれど、二度とイヤだ、とは思わなかった。
いつか、バングラデシュに行ってみたい。
広島旅行 その5
平和記念応援を抜け、原爆投下の目標となった相生橋を渡り、
市電に乗って、ランチを食べに行った。
事前の計画だと、本日は尾道にラーメンを食べに行く予定だった。
けれども、昨日は少しゆっくりとまわったため、尾道は諦めた。
で、ラーメン屋さんないかなぁ・・・と思いつつ探したが、
結局、一龍という博多ラーメンのお店に入った。
いろいろなトッピングがサービスであって、けっこう美味しかった。
その後、縮景園に行った。風情のある庭園を散策。
暑い午後、人は殆どいない。ゆっくりとした。
最後、池の橋を渡ったとき、何やら池の中が騒がしくなった。
気がつかなかったが、亀が泳いでいた。
誰かが、この橋から餌をあげているんだね、だから気配を感じて
寄ってきたんだよ。
そう言って、出入り口の近くにある売店の方へ飲み物を買いに行ったら
あった!と声を上げる連れ。
なんと、鯉の餌が売っていたのだ。
一番大きい餌を2個も買い、(本当は全部ほしいと連れは言ったのだが^^;)
鯉と亀に餌をあげた。
横で見ていて、暑いし影はないしで疲れた。
それでも、せっかくだから、広島城に向かった。
でも、広島城のほうまで行く体力はもう残っておらず、
お堀に近い、第2城(?)だけ見た。
木の造りは、涼しい。
さあ、もう時間が迫っている。
広島駅に行き、お茶をし、お土産とお弁当を買った。
もみじ饅頭に尾道ラーメン。お弁当はあなご弁当だ。
広島を満喫した。
世界遺産が2つ、集まっているだけに、外人を多く見かけた。
時期もあるのかもしれないけど、京都より多く感じた。
私にとっては初めての広島。
楽しかったけど、いろいろと考えさせられることが多かった旅行だった。
広島旅行 その4
広島旅行も3日目。最後の日だ。
チェックアウトを済ませ、けっこう疲れも溜まっていたので、タクシーで広島駅へ向かう。
駅で荷物をコインロッカーへ入れる。
今回泊まったホテルは広島グランドプリンスホテル。
予約が直近だったので、このホテルしか取れなかった。
広島駅、或いは広島の中心から遠いのが難点。
その分、料金は安めで、安いフリーツアーでも海側の15階の部屋を用意してくれた。
お部屋も料金の割には良かった。
ただ、ホテルのコンビニが22時で閉まるのと、自販機がなく、部屋の飲み物はメチャ高いのが難点。
サービスもあまり良くない。そう思うと、値段相当って感じかな。
駅ビルで朝食を済ませ、平和記念公園に向かった。
市電で男の子が声をかけてきた。
原爆ドームまでの駅を案内してくれた。
原爆ドームを見、式典が行われた場所でお祈りした。
そして、原爆資料館を見てまわった。
資料や写真を見て、先日のとうろう流しを見て、戦争はまだ、終わってないんだ、と実感する。
原爆を日本に落としたのは、アメリカの研究費をかけて開発した原爆の成果を示すためとか、
アメリカは、日本にこれ以上、犠牲者を出さないためだとか、
ソ連の進行を防ぐためだとか、
史実は答えを見つけようとしていた。
でも、結局、戦争を起こしたのは日本だ。
日本の指導者や利権者たちだ。
真珠湾攻撃で仕掛けたのは日本だ。
だから、仕返しされたんだ。
アメリカの上層部はそういう国だ。
だったら、一市民は何ができるのか。
声を枯らしてはいけない。
そして、勉強して、いい政治家を選んでいかなくてはならない。
それは、国民の義務だ。
広島旅行 その3
満足感いっぱいの弥山山頂から下へ降りた。
宮島は、世界遺産だけあって欧州の人が多い。
韓国の小学生の団体が来ていたことにはビックリしたけれど。
韓国のその団体は、原爆ドームは見に行くのだろうか・・・
ふと、そんなことを考えてしまった。
厳島神社に続いている参道でランチをするお店を探す。
宮島の名物といえば、しゃもじにもみじ饅頭。
そして、牡蠣にあなご。
穴子丼を食べた。
お土産にしゃもじを買った。
木のしゃもじは、我が家にとっては実用的ではないので、
飾り用のしゃもじを買った。いろいろな願掛け文字が並ぶ。
「夫婦円満」「やる気一発」と、夫が勢いで選んだ。
JRのフェリーで宮島口に行き、岩国へと向かう。
目指すは錦帯橋。
木でできた5重の橋がかかっている。
予定より遅れて岩国に着いたため、岩国上へは行けなかった。
錦帯橋を渡ったところに、100種類のアイスクリーム屋があって
岩国高校甲子園出場記念で半額!!とか言われて、当然のように買った。
わさびのアイスとか梅のアイスとか、売れるのだろうか・・・
そのお店は「武蔵」。その奥隣にあるお店は「小次郎」。
歴史と同じように、武蔵の方がお客が多い。
まあ、これは立地の利だけど。
小次郎が剣の腕を磨いたとされる柳の木もあった。確証はされてないが。
そこら辺をプラプラして、西広島まで戻った。
そこから本通りで降りて、夕食のお店を探す。
なぜか、繁華街から離れてしまい、なかなか見つからない。
いつもの珍道中となってしまった。
ようやく旬のおつまみを出すお店を見つけ入った。
思ったより美味しくて、雑魚のご飯が特に。^^
メチャ疲れたので、ホテルまでタクシーで。
最上階のバーでカクテルを一杯。
実は、ホテルからサービス券をいただいていたから。
夜景はキレイだった。
広島旅行 その2
広島旅行2日目は、宮島へ行った。
ホテルでバイキングスタイルのモーニングをとる。
この旅行は、宿泊と新幹線代のセットになっているJR東海ツアーズの個人フリーツアー。
安さが魅力で、そのおかげで朝食はついていない。
2000円もするモーニングは、ツアー代と比べるとお得とは言えなかった。
ホテル横の港から船で宮島へ向かう。
実は、この旅行をするまで、厳島神社が宮島にあるって知らなかった。
宮島が本州からこんなに離れている“島”なんてのも知らなかった。無知って恐ろしい。^^;
宮島には天然の鹿がいた。
餌とかあげちゃいけないんだよ、と私は夫に言う。
実は、夫は“餌上げマニア”だ。
もちろん、許可しているところのみで餌を買って行うのだが。
餌、売ってた!夫が嬉しそうに言う。
鹿の餌を買ったとたん、鹿が群れてきた。
飛び上がって、つっついて“鹿せんべい”を食べようとする。
あまりの攻撃に夫は逃げる。
その光景が面白くて、私は笑いながら写真を沢山撮った。
他の人たちも、鹿と夫たちをバックに撮っていた。
厳島神社は、ちょうど引き潮の時で、鳥居の姿が全部現れていた。
引き潮だと、鳥居が全部見られるなんて、初めて知った。
でも、水の中に現れていた方が風情があっていいなぁ・・・
そう思いつつ、厳島神社の中に入っていった。
このくらいの浅瀬なら、作れたんだね。誰が祀ってあるんだろう???平家が建造に関係しているのかな???
などとブツブツ言いながら、足を進めた。
古い建物は、風情があっていい。
足を進めて行くと、いつの間にか外に出た。
せっかくなので、ロープウェーで山に登ろう、とロープウェーに乗った。
もうひとつ乗り継いで終点の獅子岩駅に着いた。
野生のサルと鹿がいる。
今度は、餌をあげてはいけない。
サルも日光のと違い、襲ってこない。
自然のままでいる。
外の係りの人が、時間があるなら弥山に行ったらいいですよ、これだけいいお天気は久しぶりだから、
と勧められたので、山頂目指した。
歩いて30分、と表示されていたけど、思ったより、けっこうあった。
真夏の登山はキツイ。それでも、気持ちは良いもんだ。
ハアハア言いながら、水分補給しながら、とうとう頂上に着いた。
見渡すと、海と島々と、四方を見渡せる。
いいねーーーー。登って良かった。
広島旅行 その1
2泊3日で、広島に行ってきた。
休みが決まってから旅行の日まで日数が少なく、
急遽、広島に決めた。
理由は、私がまだ行ったことがなかったことと、夫がちょいてっちゃんなため。
4時間の旅行はあっという間。
1日目は、広島に着いてから呉に行った。
大和ミュージアムだ。
戦艦大和の模型と資料が並ぶ。
何だか複雑な気持ちで見た。
亡くなった方の名前も刻んであった。
遺族の方は、どんな思いで見るのかな・・・と思った。
日本の技術は、今は平和利用されているとの記述もあったが、複雑だ。
人間魚雷も展示してあった。
これって、自爆テロじゃん、と夫が言った。
まさにその通りだ。
そんな狂気に満ちた時代が日本にあった。
そして、今も地球のどこかで行われている。
広島に原爆が落とされた日。
日程は偶然に重なったけど、いろいろなことを考えさせられた。
呉は暑い。
お昼ごはんを食べるところを探していっぱい歩いた。
知らない街で美味しいお店を探すって難しい。
やっとこ食べて、フェリーで広島港に向かった。
瀬戸内海は、思ったより島がいっぱいだ。
すぐそこに四国が見えるのかと思ったが、そうでもなかった。
ホテルまでも沢山歩いた。2キロくらい。
メチャクチャ疲れてホテルに着いた。
それでも、一休みして市内に向かった。
広島に来たら、広島焼きを食べなければ。
ということで、広島焼きを食べた。
ちょっと屋台風で目の前で焼いてくれる。
臨場感があり、美味しかった。
でも、思ったより中身がいっぱいで全部食べられなかった。
そして、原爆ドームにとうろう流しを見に行った。
初めて見る原爆ドームは、思ったより悲惨だった。
かなりショックだった。
たくさんのひとで溢れかえっていた。
家族で来ている人が多かった。
ご遺族の方もいるんだろうなぁ・・・
そして、外国の人も目立った。
日本のことを思ってくれてくると思うと、有難く思った。
日本は、戦後復興も順調で、今は経済発展国だ。
でも、絶対に忘れちゃいけない風景だ。
新丸ビル
丸の内は、テリトリーのひとつだった。新丸ビルのオープンはずっと楽しみにしていた。
GWの合間を縫って、なるべく混雑を避け・・・と思って、この日に出かけた。
開店20分前に着き、地下のカフェなどを見た。もちろん、満席。
ちょっと雰囲気味わって、地上に行こうとしたら、エスカレーターに長蛇の列。
地下からはぐるっと遠回りして、一度、外に出て並ばなければならない。
な~んか、不親切だと思った。
とりあえず、エスカレーターは動いていて、列も動く。
だが、まだ開店前なので、各フロアにはテープが張ったまま。
人々は、流されるままにエスカレーターを上がっていく。
私は、3階で降りたかったのだけど、降りられる気配なし。
警備の方に好きな階で降りられないんですか?と聞くと
「いえ、そんなことはありませんけど・・・」と心もとない答え。
結局、流れに逆らえず、4階で思い切って降りた。
ここら辺の誘導も、いまいち。人はいるんだけどね。
建物自体は、濃い木調を基調としているので、ちょっとした、ホテルの雰囲気を味わえる。
私は、元々お目当てのものがあったので、さっと買って、カフェでひと休み。
そのあと、興味のあるお店などを見て回った。
同じような雑貨店が多く、書店がひとつもないのは、もったいない気がした。
洋服は、おなじみのブランドもあったけど、そうでないブランドもあり、新開拓の楽しみが増えた。
食事を取ろうと思ったが、どこも満杯。並んでいる人も多かったので、新丸ビルを後にした。
けっきょく、OAZOの丸善で本を見て回り、ここに一番長くいたような気がする。
今まで、丸の内エリアで全てを済ますにはキツかったが、これで、使い勝手の良い街になったかな、と思う。
また、行ってみよう。
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