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2009年3月

日本人として(?)

27日、IAEA事務局長選に天野氏が当選できなかったというニュースが流れました。

日本の技術と唯一の被爆国という背景から、ぜひとも当選してほしい、と多くの方が思ったことと思います。

結果、承認に1票足りず、新聞では特に途上国(と呼ばれる国)の支持が得られなかったと伝えています。

国連の常任理事にもなれず、日本は経済では世界第2位なのに、(1位のアメリカとは雲泥の差の2位)、どうも、存在感が薄いのではないか?と思う方も多いと思います。

イラク問題然り、アフガン問題然り、北朝鮮の拉致問題然り、です。

そんな中、伊藤和子さんという人権NGOの事務局長も勤めていらっしゃる弁護士さんのブログに↓のような記事を見つけました。

http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/--0d82.html

ジュネーブで行われた国連の人権理事会に参加された感想が載っているのですが、その中で、日本・北朝鮮の拉致問題のことも取り上げられています。

世界から見ると、日本は戦後保障をきちんとしていないので、信頼することができない、と受け取れます。

でも、日本のメディアでそういうことをきちんと伝えることってなかなかないですよね。

やはり、自国のこととなると、その非を認めるのって難しいのかもしれません。

これは、私の感覚なんですけど、NGOには興味があって、ネットでいろいろと調べていますが、北朝鮮を支援しよう、(餓死などで酷い状態ですよね)しているNGOは本当に少ないです。

それでも、ICCが逮捕状を出したバシル大統領のスーダンには、国もNGOも支援しているんです。

もちろん、北朝鮮とは国交断絶状態にあるので、手の下しようがないとも思いますが。

当事者同士って、それだけ難しいのですね。

イスラエルのガザ攻撃は酷い、ダルフールが大変だ、と言っている自分の足元を見たように思いました。

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受動的な仕事?

転職して2ヵ月半。平均年齢31歳の企業で、一生懸命、若い彼・彼女に着いて行ってます。笑

特に女性はファッションが華やかで、見るのが楽しみだったりして。

そんな中、もったいないなぁ・・・と思うことがあります。

私の所属は営業部なのですが、日常の業務でお客様と接する機会は極力少ないチーム。

お客様と接する機会は2つ。

電話を取ったときと、もうひとつは、受注センターが受ける受注書でイレギュラーがあったときの対応(お客様に確認する必要が発生する)のみなのです。

4月からは、電話は全てコールセンターが受けることになり、ますますお客様と接する機会が減ってしまう。

で、受注書イレギュラー対応が、唯一のお客様と接する機会のなるのですが、そういう意識が社員に感じられないのがもったいないと思うのです。

受注書のイレギュラー対応は、受注センターが受けられなかったものを依頼してくるのだから、受身の仕事だと言うのです。

ああ、もったいない・・・どうして、お客様と接することができるチャンスだとは、考えないんだろう???

20代で、いろいろなことが想像できて未来と可能性が広がっているのに、もったいないと思うのです。

会社全体を見回してみても、年齢に限らず、これは頼まれた仕事だから、という受身の姿勢が目立つし、そういう仕事はつまらない、という風潮があるのです。

たとえば、営業や商品開発などだと、頼まれ仕事ではないのか?と言えば、屁理屈かもしれないけど、そうじゃない。

世の中、頼まれない仕事なんて、ありやしない。

たとえ、頼まれた仕事が単純作業であっても、作業しているときは“自分の世界”だ。

何を考えようと、どう工夫しようと、そこには創意工夫や考える余地があるのではないかな?と思うのだけど。

私は、製造業の経験はないので、業界によっても状況は違ってくると思うけど、たとえ、お茶入れだって、意味があると私は思っている。

私は、今までそうやって仕事をしてきたので、違和感を感じるとともに、もったいないなぁ・・・と思うのです。

そんなこと考えずに、ただ手を動かしていればいいんだよ、という経営者や上司がいるとすれば、私は去っていくだろうな。

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“水”

日本では、蛇口をひねれば水が出て、水道水をそのまま飲む日本人は、ほんのわずかで、浄水器だの“何とか水”だのあって、輸入される水も多い。

だけど、途上国と呼ばれる国では、きれいな水を飲むことはほとんどできなく、満足に水を使える状態にないことは、みなさんもご存知だと思います。

アメリカのサブプライムローンが破綻し、次の投機先は水だと実しやかに言われています。

21世紀を前後に、“水戦争”というのがボリビアであったのをご存知でしょうか?

いわゆる、世界銀行による政策“水の民営化”により、アメリカの民間企業が

水の値段を200%も吊り上げて、支払えない人には容赦なく供給を停止しました。

その結果、清潔な水を飲めない人たちが病気になり、市民によるデモが起こり、死者9名、重度の負傷者が約100名、数10名が逮捕されました。

結局、市民の要求が通り、民間業者は去り、政府は水の民営化を撤回しました。

今は、戦争も“民営化”される時代となっていますが、

(このことは、またの機会に書きます)

日本も、水ビジネスに参入するとのこと。

現在、目の飛び出るようなインフレとコレラに苦しむ(少し収まってきましたが、予断は許さない)ジンバブエでは、

先進国と呼ばれる国のドッグフードの輸出が優先されて、

自国民は満足に物が買えなく、飢えや病に苦しんでいるのです。

こんなことは、ぜったいにしちゃいけない。

“水”も然り。

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イベントのご紹介など

お久しぶりです。

私は、半歩歩くと忘れる性質なので、To do listなるものをつけています。

その中に、ブログに書きたいタイトルを記入しているのですが、たまりにたまって、★マーク(終わったら★マークをつけます)を付けられません。苦笑

ネタはたくさんあるのですが、まだ寝たままです。笑

まだ、冬眠中とでも言いましょうか・・・発酵中とでも言いましょうか・・・。

さて、前日のご案内になってしまい、申し訳ないですが、日本の貧困問題にご興味のある方に。

“反貧困フェスタ”が神保町で行われます。デーマは“労働”

分科会やシンポジウムが行われます。以下のURLをご参考にしてください。

http://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/festa2009/festa2009.html

もうひとつは、少し先になりますが、ジャーナリスト・伊藤千尋さんの講演会です。

こちらは、ご案内分をそのまま掲載します。また、事前申し込みが必要なので、コメント付けてくださるか、g.dientedelion@gmail.com

までメールいただければ、私のほうでまとめて申し込みします。

以前、氏の本を読んで、興味を持ちました。

以前読んだ、氏の本のレビューは↓(簡潔でスミマセン)

http://pottin.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-71ea.html

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◆HumanRights Cafe 第3弾!!◆

~ この25年・世界一周 『人権を巡る旅』 ~

世界を伝えてきた情熱のジャーナリストが語る、
「ベルリンの壁から9.11、そして今。」
2時間絶対に退屈させません!スペシャル

●ゲストスピーカー/ ジャーナリスト・伊藤千尋 さん

●日時/ 4月10日(金)19:00~21:00 (開場 18:30~)

●会場/ パシフィックカフェ
JR・西武新宿線 高田馬場駅 戸山口より徒歩2分
東西線 高田馬場駅 3番出口より徒歩5分

東京都新宿区高田馬場1-32-13 マリンビル2階
(旅行会社ジャパングレイス内にあるカフェスペースです)
http://www.japangrace.com/office/img/img_map_tokyo.gif

●参加/ 入場料1000円 ワンドリンク付き
※HRN会員は700円(当日のご入会でも、会員割引がご利用いただけます)

●内容/ ~ この25年・世界一周 『人権を巡る旅』 ~

朝日新聞特派員として、この20年間、世界を股にかけて
激動の時代を取材してきた男が
いま、世界の人権状況を、地球規模で語ります。

ラテンアメリカで、ヨーロッパで、世界中で、
市民一人一人が社会を変える瞬間を見てきた彼はこう言います。
「一人の人間の価値は大きい」

そしてこうも言います。
「この2時間、飽きさせない自信がある!!」

不景気・政治不審・先行きの見えない今の日本。
そんな時代だからこそ、一人一人の大切さと、可能性を伝えたい。

世界で起こってきたことと、今日本で起こっていることは
決して他人事ではありません。
これから私達が出来ることを一緒に考えてみましょう。

「若者よ!世界を見ろ!そして動け!」
世界の変動を見続けてきた男の、熱い・熱いトークをどうぞお楽しみに。


●スピーカー紹介
伊藤千尋さん / 朝日新聞社記者『be』編集部

◇経歴
1949年山口県生まれ。
大学在学中の71年にキューバで砂糖キビ刈り国際ボランティア。
1973年東大法学部政治学科卒業、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。
1974年朝日新聞入社。長崎支局、東京本社外報部など経て中南米特派員となる。
その後、中南米特派員(サンパウロ支局長)・週刊誌『アエラ』創刊編集部員・
欧州特派員(バルセロナ支局長)・米国特派員(ロサンゼルス支局長)
・月刊誌『論座』編集部員などを経て、現在は朝日新聞『be』編集部員。
ほかに「コスタリカ平和の会」共同代表。

◇著書
『活憲の時代-コスタリカから9条へ』(シネ・フロント社)
『君の星は輝いているか……世界を駈ける特派員の映画ルポ』(シネ・フロント社)
『燃える中南米』(岩波新書)
『人々の声が世界を変えた!……特派員が見た「紛争から平和へ」』(大村書店)
『歴史は急ぐ……東欧革命の現場から』(朝日新聞社)
『反米大陸―中南米がアメリカにつきつけるNO!』(集英社新書) ほか


●予約申込先:ヒューマンライツ・ナウ事務局
メール < info@ngo-hrn.org >またはFAX<03-3834-2406>
(人数把握のため、できるだけ事前のご予約をお願いいたします。
当日ご参加の場合は、満席でご入場いただけないこともございますので
予めご了承下さいませ)

《 《 主催 : 特定活動非営利法人 ヒューマンライツ・ナウ 》 》
2006年7月、日本の法律家・研究者・ジャーナリストが主体となり
立ち上げられた国際人権NGOです。
日本発のNGOならではの活動をめざし、アジアを中心に現地の
人権侵害の実態調査、報告、政策提言をおこなっています。

〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6 丸幸ビル3F
Tel 03-3835-2110 Fax 03-3834-2406
http://www.ngo-hrn.org/

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「物乞い」・・・最近、気になっていること

私は、小さい頃、東京の文京区に住んでいて、たまに巣鴨のお地蔵さんにお参りに行くことがありました。

そこには、戦争で体が不自由になった元日本兵が座り、手を失っていない人はアコーディオンを弾いて、いわゆる“物乞い”をしている姿をよく見ました。

(歳、バレバレ^^;)

子どもながらにかわいそうだなぁ・・・と思っていました。

まだ、お小遣いもない歳だったので、もし、自分のお小遣いがあれば、

10円玉をかごに入れていたと思います。

それから、〇〇年たち、初めての海外旅行でスペインのマドリードに行ったとき、

いわゆる路上生活者の姿を見て、日本では見ない光景に(同じ先進国なのに)驚きました。

イタリアの地方都市にも物乞いはいたし、ローマでは、ジプシーたちが堂々とバッグの中に手を入れようとしてきました。

赤ちゃんを抱えたおかあさんと、小学校低学年と見られる少女たちでした。

子どもにこんなことをさせるなんて・・・と、その時は夫とともに怒っていました。

バブル崩壊すると、日本にも路上で生活する人が増えてきました。

彼ら、彼女らは、物乞いをするようなことはなかったように思いますが、生活が苦しいことは一目瞭然です。

ある掲示板で、途上国の物乞いの子どもたちに、物をあげるかあげないかで、議論がありました。

とくに、子どもの場合は親の経済状況が悪い、あるいは、親が亡くなりストリートチルドレンになっている、あるいは、悪い組織にやらされている(失明させられたり、足を故意に切られたりして、同情を買い、物乞いさせられるケースもある)、いずれも子どもの意志でするのではなく、そうせざるを得ない状況に追い込まれての、生きるための手段だ。

物乞いに物をあげると、一生、物乞いで過ごすからあげるべきではない・・・そういう意見をよく聞く。

私も、そうだなって思う。

けれど、ほんとに、それでいいの?と思うこともある。

だって、だれも面倒見てくれない子どもは、どうするのだろうか?

誰かがあげなければ、盗むか、野垂れ死にするか、ゴミをあさって病気になるかもしれない。

そういう、社会からはじき出されてしまったひとたちをどう考えたらいいのだろうか?

“助ける”とは何だろうか?

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「ナイジェリアの獄中から」ケン・サロ=ウィワ~その2

悲しいかな、アフリカのニュースは紛争が起こらないと伝えられない、そんな状況だ。

ナイジェリアの話題は、サッカーの話題が主で、あまり他のニュースは伝わってこないような気がしている。

ナイジェリアの歴代軍事政権は、石油の利権を握って懐を暖めてきた。

なので、政府に少しでも反発しようものなら、ありもしない理由をつけて処分してきた。

人権と言う概念のない国なのだ。

人は誰しも環境の良い所で生きたいと思うし、特に故郷は大切にしたいものだと思う。

ケン・サロ=ウィワは、自分の故郷とそこに住んでいる人たちを守るために、静かに、けれども毅然とした運動を行った。

彼は、アフリカにおける作家は政府から無視されること(識字率が低いために)を逆に利用した。

彼は、作家だからこそ、その知識を生かしてこの運動ができた、この運動をしなくてはならないと使命を持っていた。

ナイジェリアの作家たちは、これまでも“政治”に関わって来たとケンは言っている。

作家は“言葉”を持っている。

“言葉”は力だと。

アフリカは、黒人による国家=黒人同士だから、先住民の問題などない、というのが世界の見識だった。

アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの先住民のことは良く知られているが、アフリカは知られてなかった。

でも、インディアンやアボリジニのように、ナイジェリアではザンゴン・カタフやオゴニがそれに当たる、とケンは訴える。

多国籍企業のシェル石油は、オゴニから採れる石油で300億ドル(ケンが本を書いた時期なので、1993~4年頃の数字)を奪っていった。

オゴニの人たちは環境破壊のために病んでいる。

人だけではなく、植物も動物も魚も死に絶え、土地は荒廃している。

“戦争”は起こっていないが、これは異常な“戦争”だ、と。

ナイジェリア政府は、オゴニの自治を認めず、奴隷状態に置いている。

もちろん、石油の利権を我が物にしておくためだ。

ケンは一生懸命、国際社会に訴える。

オゴニを救うことができるのは国際社会だと。

テレビやラジオは政府が握っているので、国民には新聞や雑誌で訴えた。

オゴニでは、このために新聞を読む人たちが増えたと言う。

彼は、プロデューサーの経験を生かして、オゴニの運動をうまく宣伝していった。

また、シェル石油に対しても、毅然として訴えていった。

当時、シェル石油は自分たちの非を認めようとはしなかったし、情報を開示しようともしなかった。

それどころか、ケンを非難するばかりだった。

が、まず、どんな環境アセスメントを行ったのか情報開示するようにケンは要求した。

そして、いつかシェル石油が自分たちのしたことが間違っていると気づくだろうと希望を持っていた。

当時、シェル石油は、石油生産高の20%をナイジェリア政府に支払っていた。

でも、オゴニに支払われるのは、たったの1.5%である。

ケンは、国際人権委員会大会(スイスで行われた)に行こうとした時、パスポートを没収されて出国できなかった。

そんな弊害にも屈することなく、ボディショップの創始者アニタさんから援助を受けることにも繋がっていった。

世界の人権団体も、BBCや英タイムズ紙もオゴニのために運動や訴えをするようになって行った。

オゴニの住民たちも、自分の意志を持ち、政府に対して毅然とした態度をとるようになって行った。

1884年、ベルリン会議において、アフリカの国の境界線は決められた。

国民国家という考えが最盛期を迎えていたヨーロッパが、それを無視してアフリカの国の線引きをした罪の代償は本当に大きい。

オゴニは、1914年、イギリスに攻撃され、無理やりナイジェリアに組み込まれてしまった。

イギリスによって、民族は併合され、(イギリスの)シェル石油によって環境は破壊され、二重の苦しみをオゴニに植えつけられた。

ケンは、民族による自治と、環境と資源のコントロールを訴える。

しかし、ヨーロッパはアフリカはいつまでも“植民地化”していればいいと思い、前進(発展)を望んでなどいない。

けれども、意志さえあれば、必ずできる、とケンは希望を捨てなかった。

世界は、ケンの希望を叶えることはできなかった。

ケンは、8人の同士とともに処刑された。

ケンは、イギリスの友人に獄中から手紙を書いている。

「精神的には僕は勝利している。」と。

1995年、ケンは処刑された。

その1年前、サッカー・ワールドカップで“アフリカ旋風”を起こし、「これからはアフリカの時代」と言わしめたのがナイジェリアだった。

それもまた、静かなる民族の犠牲の上に立ってのことだった。

ナイジェリアで石油が発見された1950年代から、日本も高度成長期を迎えようとしていた。

そんな経済成長も、誰かの犠牲の上でしか成り立たないのなら、いったい、発展とか経済成長とか、何の意味があるのだろうか?

こういう現実を考えるとき、私は日本に生きていることに虚しさを覚える。

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「ナイジェリアの獄中から」ケン・サロ=ウィワ~その1

アムネスティの活動のひとつに、不当に逮捕されたり監禁されている人の解放を求めて、ハガキを政府、あるいは担当大臣などに送るものがあります。(一定の時間が取りにくい忙しい方にもおすすめのボランティアのひとつ)

その“ハガキ書き”(すでに文言が書かれたハガキが用意されているので署名して70円切手を貼れば投函できる、もちろん、自分でハガキにその文言を写してもOK)の効果をつい先日聞いたのですが、70%の方々が解放などの結果が出ているとのこと。

前置きが長くなりましたが、今から14年前、このアムネスティを始め、世界の心ある方々の熱心な活動にも拘らず、無実の罪で処刑された作家がいました。

「ナイジェリアの獄中から」は、その無実の罪で処刑されたケン・サロ=ウィワの、文字通り、獄中にいる時に書かれた最後の手記です。

ケン・サロ=ウィワは、作家だけでなく、TVプロデューサーであり、輸入も行っていて、加えて環境活動家でした。

1950年、ナイジェリアに石油が発見されました。そのほとんどがオゴニで獲れます。地表から湧き上がるガスの炎は、一日中止まりません。

年月が経つにつれて、土地は荒廃し、硫黄の臭気が蔓延。そこには50万人のオゴニの人々が暮らしていたのです。

ケンは、1990年(と言われています)、オゴニの活動を守るためにMOSOP発足し、当時、シェル石油のその身勝手なやり方に抗議をし、その活動の指導者となりました。

ナイジェリアは約250の民族から成っています。独立は1960年。

アフリカ中西部に位置し、ニジェール川流域を占めギニア湾に面する人口1億1千万人を超える国家です。

アフリカの多くの国がそうであったように、ナイジェリアもまた軍事政権でした。

国境線は、植民地時代のまま、ヨーロッパが適当に線引きしたため、民族が分断されたり、また、対立していた民族が同じ国に組み込まれたりして、内戦が未だに絶えないのは皆さんもご存知の通りです。

ナイジェリアもその例に漏れず、植民地時代とは、支配する側が他国から自国の軍事政権にかわっただけという、悲惨な状況が続いていました。

軍(国家)は、自分たちに反対する者を暗殺し、村落へは襲撃などをして、国家による犯罪が公然と行われていました。これは、今も変わらないと言います。オゴニ人も2000人を超える犠牲者を出していました。

ケンは、才能がとてもあり、プロデュースしたTV番組は当時の視聴率N0.1だったそうです。

内容は、世俗、特に政権を風刺したようなバラエティで、多くの人々の支持を受けました。

彼の著作も特にイギリスでは評判が良く、よくイギリスにも行っていました。

そんな世俗的に大成功の彼が、事実上作家業を完全に停止して環境問題に取り組み始めたのです。

シェル石油の利権に預かって腐敗した政府と、環境破壊を益々進め、自分たちだけの利益を上げているシェル石油の無謀なやり方から自分たちの土地と民族を守るためでした。

ケンは温厚な人で、いつも「暴力に訴えてはいけない」とオゴニの人々を諭していました。

MOSOPの運動は、グリーンピースなどが支援し始めましたが、世界がオゴニに注目したのは1992年、ケンの不当な逮捕がきっかけでした。

彼は裁判なしで数ヶ月拘留されましたが、幸いなことに釈放されました。

1993年、ナイジェリアでは総選挙が行われ、アビオラ氏が大統領として選出されました。

しかし、その直後、アバチャ将軍は選挙を全く無効なものであるとし、アビオラを投獄してしまいました。

1994年5月、ケンはオゴニランドでの集会で演説するために車で出かけますが、道路封鎖に遭い自宅に帰されます。

集会はケン不在のまま行われ、暴動が勃発。軍政府に協力的といわれていたオゴニの長老4人が殺害されました。

軍はケンを集会の首謀者であるとして逮捕監禁したのです。彼が集会に参加してはいず、車は会場と反対方向へ走っていた事実は完全に無視されて。

一年の投獄の後、軍事法廷でケンは死刑判決を受けてしまいます。

このニュースは世界中の非難を受けることとなり、時を同じくして、ニュージーランドでは旧英国植民地国家首脳会議であるコモンウェルス会議が開催されていた時でもあり、当時の南アフリカ大統領、ネルソン・マンデラ氏にケンの釈放を期待していました。

けれども、世界の心はアバチャの心を変えることはなく、1995年11月10日、ケンは一緒に捕らえられた6人とともに絞首刑となりました。

日本の外務省も、この処刑についてはナイジェリア政府に抗議文を出していますが、とき既に遅い行為でした。

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ガザ緊急報告会へ行ってきました

火曜日のことで恐縮ですが、ガザ緊急報告会へ行ってきました。

停戦後、ガザで取材をしたジャーナリストの志葉玲さんと、

JVCの長年パレスチナ支援に携わっている藤屋リカさんのご報告がありました。

志葉玲さんによると、イスラエルはダイムと言う新兵器を使用した疑いがあり、イスラエルは、使用兵器を明らかにはしていないとのこと。

白リン弾も使用され、救援物資も容赦なく攻撃されました。

現地取材によると、地上戦では、白旗を掲げて(手を挙げて)家から出てきた民間人も容赦なく殺したとのこと。

まるで、イラクを攻撃したアメリカ軍と変わらない。

特に問題なのは、交戦中はメディアが規制されてしまい、何が起こったか知る術がなく、こうした規制のない中では、残虐な行為が兵器で行われる可能性が高い。

とにかく頭にくることばかの報告でした。

世界は、オバマ就任とともにアフガンに目を向け、ガザを忘れてしまったかのよう。

ここまで読んでのイスラエルの攻撃だったと思いますが。

国際法を犯したイスラエルは、きちんと裁かれるべき。

もちろん、イスラエルを支援しているアメリカを始めとした国々も。

志葉玲さんがホームステイしていらした家の家族に絵が上手な少女がいました。

志葉玲さんは彼女に「大きくなったら絵描きになりたいの?」と聞きました。

「ガザに絵描きは要らないわ。要るのは医者なの。だから医者になるの。でも、その前にシャヒード(=殉教者、イスラエルの攻撃で犠牲になった人)になるかもね」

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